お詫び:拙著『古代エジプトうんちく図鑑』の不備につきまして(先頭の表示に固定してます)

自分が描いた本で『古代エジプトうんちく図鑑』というのに印刷の不備があります。
一番最後のページで、17~22刷という版がそれにあたります。
送料は、会社負担で交換いたしますので、お手数をおかけして申し訳ないのですが、よろしくお願いいたします。

詳しくはこちらをご覧ください↓

お詫び  『古代エジプトうんちく図鑑』の印刷不備

出版社の住所、電話番号はこちらのページに↓
バジリコ株式会社
ご住所などを添えて、不備の本を着払いで送っていただきますと、交換の本を送らせていただきます。

『100分de名著 for ユース』 ~シュリーマン×齋藤孝 回~

最近、すっかり忘れ果てて観てなかった『100分で名著』。
たまたまEテレにチャンネルが合わさってて、なんかやりながら流してたら、シュリーマンの『古代への情熱』が!!
私の好きな本ベスト10には入れたい、それこそ本当に『名著』!
やったー、って思ってたら、さらに指南役が齋藤孝さんということで、わたしの最も敬愛するツートップが!!と大興奮。僥倖にもほどが!

2人ともエネルギー過多であり、全方面に「過剰な人」であり、まさにピッタリのキャスティングで、NHK、ひっさびさにナイスキャスティングーっ!と讃えましたね。

齋藤孝さんにはひとかたならぬ思いがある! 
それも、そんじょそこらの軽々しい思いではなく、人にあまり言いたくないほど、大事に大事にしてる、小さな胸の奥にしまった大切な♪思いである

自分の人生計画では、こんなネットの片隅なんかで吐露などしたくなく、できれば……(モジモジ)…… なんかのインタビューとか、自分の成育歴とかいろいろ語れるような番組あるじゃないですか、あーいうのでがっつり感謝の言葉を言いたい、というプランがあったが、私がそんな媒体に出る機会は今生では一生こないっ! 永遠の夢物語。
だけど、いつ死んでもおかしくない歳だし、ある程度、言いたいことは言っておかないと、という思いもあるから、もうこのミジンコ的弱小媒体で書く!

まず、もうほんっとぉおおおおーーーに、に死ぬほどの恩義を感じている。
だいぶ前、13~4年くらい前に、ある大手書店の店長さんから連絡があって、「齋藤孝さんの新刊で、私のギリシア本が紹介され、とても褒めてるよ」って教えてもらって。
——すんごいびっくりした。めちゃくちゃに。
その店長さんは齋藤孝さんに全幅の信頼を寄せ、本はぜんぶ読んでるのだそう。
取り急ぎ、すぐさま本を買って読んだら、た、たしかに……。

もう本当に本当に驚いた。

だってそれまで、(宣伝になるため)書評を書いてもらいたいと、いろんな出版社、人物に、本を送ったりしていて……、で、オール無視だったからね(もちろん自腹ね)

しかも、私なんて、すべてをみっちりきっちり真剣にやる野郎だから、ただ送るだけではなく、ちゃんとその雑誌の感想を細かく書いたり、その出版社で出してる本の感想も書いたり(手書きで3~4枚くらいね)、そんなきめ細かいこと(って自分で言う)を何十社にやったりしたが、名のなき者のそんなわざとらしい浅知恵は、大伏魔殿である出版社の百戦錬磨らに通用することもなく、まぁ、とにかく全無視されたよねー。
(それは、まず「原稿を本にしてください」っていう持ち込み時にもやったよねー。まったくそれは必要なかったよね。つくづく無駄が多いのよねー)

だから、雑誌の書評なんてのは、作家がお友だちの本を宣伝してあげるための場だ、なんでもかんでも出来レースだ、くらいにひねくれて取ってて(スッパイ葡萄ね)、ケッとなってた。
それとか、お友だちうんぬんは関係ないとしても、論評しやすい本と、そうじゃない本があって、どう考えても自分の本は論評しにくいもので、……というより、透明なんだよね。本当、今回のアカデミー賞でもアジア人俳優の透明化が話題になってたけど、そんな感じで、誰の目にも見えないの。

よく聞く話が、書評を書く人がまず決まって、その人に出版社が、何冊か見せて、それで書きやすそうなのを、その書評書く人が選ぶ、って感じらしい。
(あっ、思い出したが、私も1回だけ書評書いたんだった。その時は決まった本だったけど)
そのセレクト段階で、自分の本なんかは、まず透明本で、候補にも上がらないと思う。
昔、発売日前の新刊が、Amazonのマーケットプレイスに出てたけど、それらは書評に書いてくれーと、雑誌編集部に集まった本たちなんだと思う(素人考えだが)。私の本も発売前後ですんごい量があって、なんか嫌な気持ちになってたものだ。

とそのように、誰の目にも映らず、ていうか論評する基準にまず達してないのだった。
ちょっとアカデミックも混じった、でも完全な学術書ではなく、批判精神もあるような本が一番論評しやすいというか、選ばれやすい。論評する人も「こんな本選んでセンスあるー」と思われるし。
それが、もし、私の本みたいのを評してごらんなさい。ハズカシー、が先に立つよね。

あっ、付け加えて言うなら、いちおうゼロではなかった。
そうやって書評のための営業をしてるうち、実際、電話でアポ取れて、編集者に会うと、小さい記事(何行かの紹介文)は出してもらえた。
「会う」とやっぱり人間、情が、すこしはうつってしまうもので。
ホントありがたかった。

あと、刊行後、1~2年したとき、写真家で芸術家の澤田知子さんが週刊朝日で、びっちり1ページ、『古代エジプトうんちく図鑑』の感想を書いてくれた!
これも寝耳に水で、まったく面識ない方だったし、「うわぁ~~こんなことあるんだ、お友だちとか関係なく、書いてもらえることが!」と少しは社会を見直したのだった、このひねくれものは。
この時もこの世の幸せをぜんぶ味わったと思った。これで死ぬんじゃないか、と思うほどうれしかった。

うわー、なんか話が、それまくり。とにかく、そのように誰からも相手にされなかった本なわけですよ。

それが、あの有名な齋藤孝さんに褒められてる! って、もう本当に感謝しまくりで、いや、もう感謝なんて生易しい言葉じゃ、到底、表せない。
そいで、もちろん、齋藤さんは、世界一の褒め上手で、またあらゆる本や人物のよいところが浮かび上がって見える超能力の持ち主なので、褒めるモノも数多あり、本も20万冊くらいを褒めている。冗談じゃなく、本当にそれじゃあ足りないと思う。
自分の本も20万冊のうちの1冊だけど、もう有頂天だよね! 人から褒められたことがほぼなかったのに、あの齋藤さんが!って。
今まで無視してきた奴らめ、お前らなんかに無視されたのが何千倍にもなって戻ってきたぞ。ざまあ見ろ! あの齋藤さんだぞ!って、なったよね。
しかも、そのあともテレビで言ってくれたり、ほかの著書にも書いてくれたりして。
テレビで言ってくれた時は、アマゾンでたしか30位だか、60位だか、数字覚えが悪いので、すべてを忘れたが、とにかく全体の100位以内にすら入った。普段、何十万位の、私の本がですよ! なんという孝・効果。
いちおう、ギリシャ本を褒めていただいた時、お礼の手紙は書いたよ。そういうこともあっての義理・人情、義侠心からきてることもある、とは思うの!
だけど、この世の人は冷たいじゃない。
義理人情は壊滅。困ってるときに助けたとて、何かに協力したとて、コチラには一切手助けなし、とかそんな利己的な人ばっかりじゃない。
それをこんな、誰もが無視するような本を、恥ずかしがるような本を、まさか見つけてくれ(それだって異常な読書量から来ている)、きちんと読んでくださって、著書という大事な場で言ってくれる。ってこうして書いてても涙が出てくるよ。本当に。ありがたすぎて。

と、自分は誰かに「本を読みました」といわれるだけで、全財産差し出したいほどの気持ちになるもので、恩には報いたい、といつも思って、そのように行動してるところもあるけど、齋藤さんには、何も報いることはできない。
大物すぎて。私が何をしてもなんの足しにもならないから。

って、自分の書評(ほぼエア)歴ばかり書いて、齋藤さんの偉大さをぜんぜん書いてないっ。

そんでもって、とにかく「人が人を褒める」話って、私、この世で一番嫌いなくらい、憎くなる話なのだが(そんなに皆さんに褒められて好かれて、さようですか、よござんすねー、っていうジェラ心で)、それを今やってしまっている。
だけど、たった1人(澤田さんも入れると2人)だし、上にも書いたが、言えるうちに言うことは言っておかないと、という歳のいった女の悲しみに免じて許してほしい。

あまりに長文になってしまったので、いったんやめて、日を改めて~~~。

R-1グランプリ 2024

私が一番笑ったのは、マッチングアプリの人(kento fukaya)。
いろいろおちょくってるのもよかったし、ワードも面白かったし(筋トレ見学、とか、置き配を出迎えるとか、もう全部)。

そしたら点数、低っ! この時点で一番低かったし、のちのちの総合でも下から2位って!
私がおかしいのか?

この人と同じくらい、私が笑ったのが素人の人(どくさいスイッチ企画っていうんですって)のツチノコのネタ。
ネタの仕様もストーリーも一番好き。
なんなら優勝してほしい、くらいに胸が高鳴ってたら、決勝届かず。

決勝は、もともとルシファー吉岡が好きだし、すんごく面白いのに、なんかずっと不遇だし、優勝して、すこしは報われてほしい―と願ったけど、票は一つも入らず。
一つも入らないほどか?
もういろいろわからない。

あと、日々、一緒に仕事して顔を合わせてる人を審査するのって難しいのではないのかね、とかそっちに頭が行ったりもした。
自分なんかのことを思うと特に。
ぜったい見知った人や仲のいい人に辛くはできない。自分なら。

それどころか、たとえば本を読んた、とか言われると、もう全財産差し出したい気持ちになるくらいだし。
(だから絶対政治家とか権力を持つ人にはなれない。
ちょっと優しくしてもらったりおやつをもらったらいい顔して、すべてに便宜をはかりまくってしまうだろう。
数年前、昭恵夫人が森本学園にいい顔したことから、とんでもないことになっていって、ほうぼうから責められてたけど、私は昭恵のいい顔する癖をわが身のように思い、恐怖を感じ、とても非難する気持ちにはならなかった)

って、もちろん、審査の人たちはそっちに心を持って行かないようにしてちゃんとしてたんだろうけど、こっちは、そういうことも考えてしまった、という話。

そんで、この前、『イワクラと吉住の番組』(だったかなー)で、イワクラが「SNSで、『審査員からは評価高かったけど、俺はこっちの方が面白かった』とか書く奴ウゼー」みたいなことを言っていて、その通り、とも思うのだが、それをそのまんまやってる群衆の1人が、今ここにも。

うーん、たしかに昔は、そんなこと、友だちとしか話せなかったよ。
だけど、今や、友だちとかしか話せなかったり、せいぜい日記に書くくらいしかできなかったことも、もしかして誰かが見てるかもしれない場で言える世界になっちゃったからね。
だって、「お腹が空いた」とか「そろそろジムに行かないと」とか、友だちにさえどうでもよすぎて言えないことも、フツーに書ける恐ろしい世界なのだから。
だから良識と節度を保ちつつ、この3人しか見てない何の影響力もない場で、これからもこれくらいのことは誰に遠慮することなく書いていくのだった。

謎の頭痛

終わらぬ頭痛に気鬱な毎日。
いや、頭痛はもう、自分の日常だから、あるのは当たり前で、ことさら言うことでもない。
でも、連続で今のところ3週間続いてることに、ものすごくイライラしている。
毎日、起きたとき「今日こそは」と期待するも、ダメだ、まだ居た、と意気消沈する。

〈って、ここからは、ただの症例的、医学的メモとして残すために書きます。同じような症状で悩む方のために。
・・・と思って、このブログもそういう側面から書いてるところもあるけど、現状のインターネットさんの仕様では、ぜったい人の目に触れるほどの検索上位には上がってこないだろうな、はぁ~~〉

こんなに頭痛いのが長期間なのは全生涯振り返っても、たぶんないと思うんだよねー。
持病の片頭痛は、せいぜい、3~4日。すごく長くて、ごくごく何年かに一回で5~6日。
最近、あんまりない緊張型頭痛も、半日~せいぜい3日。
あと、いちおう第3の頭痛と自分でカウントしてる、そのほかの、ようわからんものにしても半日から2日だ。

まったく休みなく3週間痛いのが初めての体験で、しかも腹筋をしてるときに、いきなり右側の後頭部、頭と首のあいだ(付け根)からズキンズキン大きく痛みだし、吐き気も伴ったから、これは動脈解離をやったのかも、と恐ろしくなった。痛いのは片側(右)だけだし。

……にしては、つんざくような痛みではなく、しかも初めての痛みでもなく、なじみのある後頭部痛でもあって〈緊張型頭痛にも思えるし、第3の頭痛ともいえる〉、つい、先月もインフルエンザになったときにあった頭痛とまったく同じような痛みと箇所であった。
後頭部の何か所かでズキズキ、ときに心臓の拍動と同じリズムでバキンバキンと痛くなるもの。

だから、インフルエンザが、いやな痛みの回路をつくっちゃったんかな~~くらいに思った。
口内炎とかも、一回できると、そこが治っても、また続けて同じ箇所にできたりするじゃないですか。
あれかなーと。
で、様子見してたのだけど、一週間を超えたくらいから、おかしい、長すぎる!とあせってきて、2週間を超えたので、ついにこないだ脳外科に行き、MRIとMRAを撮ってもらった。

そしたら、まずはよかった。脳にも椎骨動脈にも問題ナシ!

ということは、あとは、ネットを閲覧して、素人考えで推測したのは、「後頭神経症」と「可逆性脳血管攣縮症候群」というもの。
さらには頭部の「帯状疱疹」とかも候補に挙がるが、先生は、「連続して痛みが続いてる、っていうのがどうも違う気がする」と言っていて、結局わからずじまい。

または頸椎の問題も考えられる。
「ヘルニアが神経根に当たりまくってますねー」ってのは、もう30代のころから首のレントゲン撮るたびに言われて、てかもうこの歳になったら、みんなこうだし、整形外科ってなんでもかんでもめんどくさいから、すべての痛みをヘルニアですませようとしてるイメージがある。

頸椎というより、肩の関節がやばいときがあった。
この頭痛が始まった2~3日あとに。
関節が外れそうに何回もなって、とにかく肩関節が不安定。
なにかの拍子で腕が持ってかれそうになって、いてーーっってなって、そのゾーンに入ると、5分くらいは、痛いのと外れそうになる感覚がとまらなくなる。
息しただけで、外れそうになるので、息をひそめて、落ち着くまでとにかく動かないようにする、をくりかえしてた。
子供のころに実際、外れたことがあって、あと、8年前に骨折もしたし、その前に神経麻痺やったり、四十肩もやったし、自分にとって右肩&腕は鬼門というか泣きどころだ。

と、最初は頭痛より、こっちの方が恐怖だったくらい。
でこっちは、最初の日は20回くらい起こってパニックになっていたが、だんだん頻度が下がり、今はなくなった。

だから、整形分野で何がしかが起こってるのかな、とも思える。

インフルエンザの後にこうなってるケースはないのか、と探すも、もう世の中、コロナ後遺症のことしか出てこないよ!
でコロナ後遺症の頭痛のページを見ると、これまた自分のとピッタリはまる表現もあった。

1か月以上といった長期間のもので、片頭痛の薬(トリプタン製剤)がよく効く、というもの。

そーー! この頭痛の合間を縫って、いつもの片頭痛がこめかみにあらわれたので、片頭痛の薬を飲んだら、これほどずっと苦しめられてきたこの頭痛がピタッと消えたのだった。
頭痛がないとは、なんとクリアで輝く世界か!ってなったもの。8時間ほど。

で、またぶり返して、痛みが戻る(こめかみの片頭痛は消える)。

で、また片頭痛あったから、飲んだら、やっぱりすべてが完全に消えたから、有効なのはわかった。

そして8時間もしないうちに痛みは戻る。
いつもの片頭痛への効果と違って、完全に一時しのぎにしかならない。

そして、またこの薬は月に5回までにしようぜー、となってるので、そうそう飲んでられない(効きが悪くなるのと、乱用頭痛を招くから)(また、ボルタレン、ロキソニン、セレコックスなどのNSAIDs解熱鎮痛薬も最初のうちは試したけど、あまり効かず)。

って、もう何なんだ、って毎日が疑問と絶望しかなくて、そのメカニズムを知りたいし、あとできれば、病名もわかりたい。
でも、人間同じようでも、体の成り立ちも体に起こったエピソードも違うし、ズバッと判で押したように、○○病です、と決定づけるのは難しいのかもしれない。
むしろ、○○病って、確率されてるモノたちがすごいとも思える。そんなに客を集めて。

この前の記事で書いた、最近読んだ本、『寄生生物の果てしなき進化』(トゥオマス・アイヴェロ著 セルボ貴子訳)に、もうすぐ、個人のDNAから、個別にオーダーメイド診療みたいなことができるだろう、といったことが書かれていた。
もう今すぐにでもやってほしいし、あとDNAもいいけど、上から下までスキャンして、人体図鑑のイラストみたいに、一発で、神経から骨、筋肉、内臓、すべてを映し出してくれて、診断できないものかねー、とも思う。
どうも素人目にはカンタンにできそうな気がするんだけどねー。

『寄生生物の果てしなき進化』を読む

すごくいい本だった。

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『寄生生物の果てしなき進化』トゥオマス・アイヴェロ (著), セルボ貴子 (翻訳), 倉持利明 (解説) 草思社 2021年 Amazon

「敵かな、味方かな」な、ウィルス、細菌、寄生虫などのパラサイト大全!
極小単位の小さな宇宙の、複雑怪奇に、くんずほぐれつ入り組んだ知見を、とても明瞭にリズムよく、紐解いてくれる本。
小さな宇宙、と書いたけど、生命の発生から進化に思いを馳せさせ、時間も空間も超越した、ドデカいスケールを味わった。

生命というものは、何はさておいても、一番興味がある話題だけど、こちらは何しろ文系脳で、DNAの塩基配列の4つの何だっけ、あーいうのが連続で書かれてたり、ちょっとでも羅列的になると、もう、脳がアップアップして、理解の努力を放棄する。

でも、この本はとにかく読みやすいの! 日常で派生したちょっとした話題をエッセイ的に読んでるような感覚にさせてくれるの。

内容は、表紙や帯を見てのとおりで、生物の誕生、進化、人間とパラサイトのかかわりと、ヤツらによって引き起こされる感染症と、その克服の歴史などなど。

軽妙に、こともなげな感じで、ハッとすることが書かれてる。
テーマのパラサイトそのものにしても、それ以外の話にしても。
こっちは「・・・ん? えっ、なんだって!?」となって、2度見(2度読み)することが何百回もあった。

たとえば、今サッと取り出せたところを挙げれば、

・「都会に旅するというのは、この数十年の間に生まれたコンセプト」であり、都会は病原体のうごめく危険な場所と人に認識されていたんだって。
「1800年代、ニューヨークは感染症の巣窟。20代の4人に一人が30歳以前に何らかの感染症で死んでた」(p170)。
(※カッコはこの本の知見の引用ではありますが、完全に正確ではないところもあり、前後や言葉尻が違ったりもします)

とか

・「豚やフェレットの免疫機能が人間のそれに似ている」(p114)

とかなんかも「ほへー、豚はともかく、フェレット。意外~~」となる。

・「HIVは1930年代ころから人に感染してた」らしきこと(p215)

えっ、あの騒がれ始めたときじゃなかったの!と、まぁこんな、袖のちょっとしたことでも意外で、ほうっとなることばかりなのだった。

・「パラサイトは体内でいつも競争、戦争をしている。複数いることで、猛毒のパラサイトを弱毒化する」(p126など)

とかね。

たくさんのパラサイトのメンバー紹介ももちろんある。
これも、羅列ではなく、エピソードのなかに組み込まれて書かれているから、物語を読む感覚。
こっちもそれで感情が入るから、頭にちゃんと残る
(読んで3秒ですべてを忘れる私が、ギニア虫の不愉快極まりない性質なんてのが、今、ソラで人に説明できるほどには記憶できている。奇跡)

そしてヤツらの戦略。我々の体内のあちこちに隠れたり、擬態したりで、宿主の免疫機能を欺く。
自分らの都合のいいように宿主を操る。つぎの宿主に寄生するために、今の宿主を食べさせるようにしたり、水に誘導したり。

そういった手腕に、本当よくもうまいこと、自分らを整備し進化させてるよなー、と驚嘆させるも、ときに、自らを窮地に追い込み自滅もして、なんでそんなにバカなのか、と思ったりもする(こういうとき、わたしゃー、ついつい個々の人間の生態に当てはめたりもする)

驚くことに、進化は行きあたりばったりなその場感覚で行われてるようだ。

「パラサイトが用いる感染方法は目的達成のために細かい所まで実にうまくできていると感じる向きもあるかもしれない。それは実は幻想だ。なぜなら、進化というものは短期的な視野に立って起こるものだからだ。進化は様式美や印象的な方法等は一切考慮せず、そのときどきで一番簡単な方法を取る。もし数学がエレガントな科学の分野だと呼ばれるなら、生物学はその正反対の存在だ。乱雑で、時に意味もなく複雑である」p147

ここがこの本で、わたし的に一番白眉であった。

そして、われわれ人間にしても、パラサイトされる状況は指紋のように違う。
同じパラサイト環境を抱えてる者はおらず。種類にしても分量にしても。
こんなことも、考えてみればそりゃそうだよな、と思うけど、そもそも考えたこともなかったし、ふんだんに気づきを得た。

翻訳者のセルボ貴子さんのあとがきが楽しい短編小説のようで、ニヤニヤさせてもらい、最後の最後までワクワクする心地いい読後感を得られた。
自虐センスと、原文のユーモアとリズムをほぼおそらく完全に日本語に落とし込んでくれてる誠実さと(ほころびなく、どこも名文章!)、あらゆる方面の知識が必要な、これだけの大作を届けてくれた、とてつもない忍耐力を、心から尊敬するし、讃えても讃えても讃え足りないわー。

そして、本を閉じ、そもそも生命とは、という根本の命題にまた立ち返る。

またこの本のテーマ、食らうということ。

我々も、他の動物の生命を奪ってまでして生きている、という原罪を抱えてるわけだが、我々だって生きながら食われてるわけで。
そう思うと、すこしだけ、咎めが薄れる。
我々は奴らにとっての「食べ放題のビュッフェ」(引用)なんだからね。
エサ場であり、宿である。
奴らは、インフラを整備し住み心地をよくする。
奴らの、その整備のおかげで、こっちも健康を保ったり、そこなったり。

港区立 朝日児童館

小学校上がるちょっと前から小3の途中まで港区白金に住んでいた。
私こそも港区女子!

とはいえ、私が住んでたところはスラム街。
ネジとか、なんかの細かい部品を作る小さな工場がそこここにあって、機械油のにおいで充満してる地区。
最後にその界隈に行ったのは、5年くらい前だけど、そのときは、まだ工場とか少し残ってた。
私の家=スナックもすっかりそのままの形であったし。

小学校に上がると、シングルマザーとか共働きの家の子は、放課後は児童館に行くようになってた。

なんか、区とか学校とかのシステム案件なのか、行くと、出席取ったりもあり、ちゃんと、メンバーのオヤツが用意され、親が迎えに来るまで、みんなそこで、ゲームをやったり、本を読んだりしてた。

私が行ってた児童館(ネットから確認するに、地理的に朝日児童館というところ)には、屋上がローラースケート場になっていて、ローラースケートの貸し出しもあり、私も毎日毎日滑ってた。

そいで、現在の話になるが、今、よく利用する図書館が、めちゃくちゃ昭和の建物であって、匂いが、この朝日児童館なのだった。
階段とかの床が。あとそれに付着する消毒液の織りなす匂いが。

なので、毎回、ここに来るたび、児童館とローラースケートのことを思い出し、く~~~っとなってた。
別にいい思い出というわけでもないのに、なんで、こう、昔の香りをかぐと、こうも脳からいい感じのものが溢れるのか。
とにかく絶対、改築とかしないでー、というのが私の願い。

で、金曜日に飲みに行ったんだけど、その店のゲストDJと、いつの間にかいろいろ話をしていて。
そしたら生まれてから、ずっと白金に住んでるということで、聞けば、歳は1つ下とほぼいっしょで、学区は違ったけど、かなり近所なことがわかり、
「北里研究所の向いくらいにある児童館って行ってた?」
と聞くと、
「うん、屋上でローラースケートできるところ」
と返ってくるではないか。

この時の私の異常な昂ぶり、わかりますか!
もう自分のなかからミニな自分が、体を突き破って出てきそうなくらい興奮した。

たかがこれくらいで! 

しかもこの方は地元だから、私のような興奮はない!
でも、私は、その、子供の時、東京を離れて以降、一度も、どんな人とも、ローラースケートの話も児童館の話もしたことがなかったので、大事件であった。

それ以外の商店街の話などは、子供時代は、学区が違うと、まったく別世界の話になるので、そんなに興奮はしなかったけど、私にはローラースケート場を共有してる、ということ、その1本で、もう十分すぎる話だった。

もう一人、DJの女の子がいて、今度は、私がそのあとに、東京から転校した場所、札幌の出身ということで、これだって相当盛り上がれる話であるが、ローラースケートですべての興奮を使い果たしてしまって、一生懸命、表面は「すごいすごい」などと言ったりしたが、ぜんぜん興奮してないのがバレてたように思う。申し訳なかった。
(それにしても、一生懸命、いろんなこと質問してくれたりで、すごくいい子だった。初対面で、質問されて答えて、で会話を終わらせず、一生懸命、共通の話題を見つけようとしてくれる人は、本当にいい子で大好きだ!)

最初の白金の友がいうには、もはや、このローラースケート場のあった朝日児童館は取り壊され、別のビルディングになってしまったそうだ。まぁそうだよね。何年経ってる、って話だよね。

通ってた小学校も、今、検索して初めて知ったが、わりとつい最近、廃校になっていた。
(やっくん〈シブがき〉が一学年上にいたことを今初めて知った)

半ば追放のような形で追い出された小学校で(と親が私を苦しめようとして、いつも大げさにそう言っていた)、いい思い出の母校などとはいい難いが、いつか散歩で見にいこう、と思ってたから、ちょっとだけ寂しい。

本当いつまでも存在するものはないのだ。何度その目に遭っても、忘れる。
まぁそれでも、すべてのものが、自分の中で都合のいい思い出になってるから・・・・・・。

やってない自慢

いけ好かない人物がよくやる三大自慢の一つ「やってない自慢」!
本当、昔から、聞いちゃらんねーっと思ってた。

手垢つきまくり例で恐縮だが、テスト前の「勉強ぜんぜんやってない」に始まり、美肌の人の「なんにもやってない」、ガリガリに痩せてる人の「ダイエットなんてぜんぜん無頓着で食べまくってる」などなど枚挙にいとまがない!

なぜ人はやってないということを、これほど自慢するのか。
何もしてないでも、これ、このとおり!と天分アピールをしてるのかねぇ。

私は、本当にこの風潮が、物心ついた時からイヤでイヤでたまらず、自慢じゃないけど、いや、自慢だけど、嘘をついてでも、逆張りしてたからね。

勉強してなくても「死ぬほど勉強した」。

キレイな肌のときは「莫大なカネをかけ、あれもこれも試している」

やせてるときは「ものを一切食べず、死ぬほど運動してる」

とかね。
って、まぁ実際ほとんどそうだった(死ぬほど努力してた)んだけど。

まぁ、たとえばテストなんかは、点数悪くなりそうだから、自分をもだますというか、今のうち言い訳しておこうとか、そういう意識もわからないでもないがね。
上の3つでは、痩せてる人の「食べまくり自慢」はよくないねー。
あれは敵を作る。
同性に好かれたいなら、「全然食べないでなんとかキープしています」というべき。

以前、空気が死ぬほど読めないバイト先の同僚(スタイルめちゃくちゃ良し!)が、一生懸命ダイエットしてる子の前で、
「そんだけしか食べないの? 死んじゃうよ。
私、もう毎日食べすぎで、昨日寝る前も、10個もドーナツ食べちゃったし」
なんて言ってて、うひゃーとなった。
まず嘘だし。ドーナツ10個とか。
仮に本当だとしても、一生懸命努力してる人に、なんのためにそんなこと言うのか。残酷でしかないぞ。

ってさっき、観たテレビ『上田と女が吠える夜』(毎週喜んで観てる)で、若槻千夏が「女優さんとかで『私、ガサツなんで(肌のこと)なんにもしなくて』とかいうの全カットで」って言ってて、そのとおーり!とインスパイアされて書いた。

まんきつさんが美容のマンガで、「すごい金かけてる!」って公言してくれてるのは、小気味いいし、さすが心得ておられる、となった!!

※上で引用した若槻千夏さんの語りは、「女優さんで、〇歳っていうと、周りが、えっ、見えない~~っって言ってあげるお約束のくだり」がスタートの話で、そこを一番強調してる話(それ込みの全カット)です。って、ひと晩経って、切り取りに見えなくもないと気づき、ジャーナリズム精神でいちおう野暮で余計な付け足しをば。

好きな人こそ憎くなる

Apple TV +の 『テッド・ラッソ』面白かったよ。
(邦題は『テッド・ラッソ:破天荒コーチがゆく』っていう説明的サブタイトル付き)

イギリスの弱小プロ・サッカーチームの話。
私自身は、スポーツへの興味がほぼ皆無な人間なのだが、シットコムかと思って観た。

確かに最初はシットコムのつくりなのに(30分番組。笑い満載)、途中からゆっくり変わって、ふつうのドラマになっていた(時間も1時間になっていったし)。ネット配信のドラマって自由だわー。

とにかく全員がカワイイーー!
かわいすぎる! 全員大好きになる。
オーナーも選手もファンも、かかわる人全員。
丁寧にみんなの人間性を細かく拾ってくれて、もうそういう丁寧さがスバラシー。

最初はあまりにハートウォーミングで、善人ばかりのドラマだから、うひよー、勘弁してくれよ、私には無理!!とも一瞬なったが、わたしのなかの、なんだかんだ優等生でいい子ちゃんなパートが顔を出し、毎回、笑ったり、号泣したりしながら全部観てしまった。

悪者は唯一、2人くらいしかいないかな。
オーナーの元夫と、あともう一人アフリカの金持ちくらい。

ひとり、いいもんーーベビーフェイスから、ヒールへと闇堕ちした男がいて。
その変容も丁寧に、じっくり、ゆっくり、ちゃんとやってくれてた。

わりと最初から、自分より下の者とか、人気のない者には態度が悪いとかの描写もあり、伏線もちゃんと張っていた。

そして、最初に自分を引き立ててくれた人を、自分への愛情が足りない、と思い、大好きだったのに、いや、大好きだったからこそ憎むようになっていった。
最初は、何だこいつ、って思って、大嫌いなキャラクターになったけど、あっ、自分もよくある!と気づいた。
仲の良い友ほど、良くしてくれた人ほど憎くなるっていうやつ。
自分はこんなに尽くしてるのに、向こうはぜんぜんだ、こっちを軽んじてる!とかって思っちゃうやつ。
こういうのは、多かれ少なかれ、みんなあると思うの。

人間のそういう感情を丁寧にやってくれるし、何より笑えるし、「好きなドラマ50」には入るくらいは、楽しめたドラマ!

『刑事ジョン・ルーサー』を再見

題名で損してるドラマ『刑事ジョン・ルーサー』を友が観てくれたので、私もまたぜんぶ観た。
半年前に観た映画『フォールン・サン』までも(全部忘れてて、フツーにフレッシュに観れるお得な脳)。

通して観ると、けっこうストーリーは穴だらけ!
「あれはどうなったんだ」って、投げっぱなしになってるの多いし。
なんといっても冷静なヒロインが、急に情緒不安定になって暴走しまくる最後が・・・・・・。
どうしてこうなった、せっかくここまでちゃんとしてたんだから、もったいない、という思いもいっぱい。

でも、もうそんなの補って余りあるほどに、ジョン・ルーサーという優しさの塊男のキャラ設定が良すぎる!
ルーサーの優しさをただただ堪能させることに注力してるとしか思えない。
ストーリーは穴だらけだけど、ルーサーの優しさ描写は、もの凄ーく繊細で丁寧でとりこぼしがないんだよね。

いつも人のために駆り立てられるようにせわしなく動くルーサー。
こんなに難事件を解決してる凄腕の刑事なのに、かならず、警察組織の人間に敵視され、悪徳刑事と見なされ、それはともかく、殺人犯とまで疑われる。もう何回、殺人犯にされてるのかね。
もう、本当にこの「誤解されパターン」はストレスたまる。
そして、そんなに疑われて、ひどい妨害を受けても、その人たちのことをルーサーは恨むどころか、褒めたり、かばう描写が必ず入る。
「あの人は良かれと思ってやってるだけだ」
「あの人は俺を誤解してるだけ。根はいい人だから何かあったら頼れ」
とかって。

最終回ではシーズン1の、頭の悪い上司のことさえも「尊敬する上司がこんなことを言っていた」と褒めたたえてた。
そんな昔の人のことまで、わざわざ出してくれるとか、このドラマ、ホント、こういうとこメチャクチャ丁寧。

ルーサーの、どこまでもな献身と、利他的なところが本当に沁みるーー。

ルーサーの優しさは、受け身の優しさで、けっして、優しさを積極的にふりまくのではない。
見るに見かねてしょうがなく、っていうパターン。

でも、すぐ安請け合いするから、奮闘むなしく、被害者が殺されたりなど、結果的に約束を守ることができなかったりして、その親などから犯人以上に恨まれる。
優しさによって敵を増やしていくという新しいパターン。

私は、この「受け身の優しさ」っていうのにすこぶる弱いのだ!!
もうしようがなく、イヤイヤ、しぶしぶだったけど、乗り掛かった舟で、もう最後まで面倒みるっていう感じが。

『クライング・ゲーム』っていう相当に好きな映画があるけど、これも受け身の優しさの男の物語。
この主演のしょぼくれた人も(スティーブン・レイ)、これ以降、まったくパッとしない、ふつうのわき役・中堅俳優になってしまったけど、これだけは永遠に輝いていて、かっこいいーー!

以下、『刑事ジョン・ルーサー』を見てない方にはなんのこっちゃな、ネタバレ満載の、細かい穴への不満、感想、説などです。

★★★★★


ルーサーは、アリスには腐れ縁としての情はあるけど、恋心的なものは、最後までなかったんだと思う。
元女房や新恋人と接した時のルーサーの浮かれ具合が、アリスにはまったくない。
肉食動物に食べられる草食動物の死んだルーサーの目。諦めの表情。

アリスがあまりにルーサーを乞うから、しょうがなくセックスにも応じたのだと見た。
っていうか、付き合ったことに、なんかがっくり。
そういうアレじゃなかったじゃん。娘とか妹みたいなもんじゃん!

映画『レオン』の長いバージョンで、レオンは実はあの少女(ナタリー・ポートマン)を女として見ていたっていうのがわかって、気持ち悪くなったのと同じで、そう簡単におっさんに若すぎる女とは恋的や肉欲的なものに持ってかないでほしかった(途中からはアリスも成年、っていうか、中年にさえなってしまった見た目だが、でも学生のうちから知ってる少女だったんだからさー)。

でも、アリスのルーサーへの片思いの心は、とてもよくわかる。
こんな男がいたら、執着せずにはいられない!
(だけど、ルーサーは願いをかなえず踏みとどまれ!)

そんで、シーズン4で、霊媒師のふりした美人の女も、次があると思ったら、あれで終わりで「えっ」ってなった。
そもそも、この美人女の、子供のころの未解決事件で、大人になった犯人に怯えてるのもおかしかった。
その犯人は、すっかり牙をもがれて、ふつうの小物のそこら辺にいる意地悪な女にすぎず。
こんな、ルーサーの田舎(?)の家にひそんで携帯電話盗んだり、霊媒師のふりをしたり、のシロウトとは思えない行動力や頭の良さのある、この美人女の方がよっぽど真犯人より脅威だし、強いだろうに。
そして、優しさの塊のルーサーが、なぜかこの美人女にはあたりがきつくて不可解だった。
もともと自分が事件を解決せず、この美人女との約束を守らなかったくせに。
だからこそ、話が続いて、そこらへんを納得させるストーリーがほしかった。

投げっぱなしといえば、助けた年若の女娼婦も消えた。
まぁ、この娘は、次のシーズンのあいだに、どっかちゃんと就職でもしたんだろう、と思えるけど。

ジャスティンと、コンピューター男が死んだのが、本当につらい!
女房のときはそうでもなかったけど、いい同僚が死ぬのが一番つらい。

で、アリスの話に戻るけど、アリスが、最後の最後、ルーサーを撃ったりして鬼ごっこするのは、まだ恋と絶望とでおかしくなってしまったと少しは納得できるし、いじましさ、せつなさも感じなくはないが、その前からいろいろおかしすぎた。
ギャングの息子をわざわざ殺しに行ったり、いい女刑事をいきなり射殺したりの頭の悪さは理解不能。
この女刑事、最初は、またルーサーの敵になるんだろうな、と思いきや、有能で頭も柔らかく、珍しくデキル刑事だったから、こんな虫けらみたいに死んで、ショック!

Apple TV + 『窓際のスパイ』面白い

インフルエンザのとき、一気に観たけど、最近観た海外ドラマでは、出色! 一番面白かった。
って題名が観たくなさすぎるけど。

これ、小説の邦題と同じで、刊行当時から、これはない、って文句言われてたのを今頃知ったけど、本当、このタイトルでは、とても観る気になれなかった。
だけど、アップルテレビ、あまりにもタイトルが少なく、選ばざるをえなくて、思わず観ることができて僥倖だった。

すごーーくちゃんとしてる! ドラマ特有のご都合も(おそらくはあるんだろうけど)、見当たらなかった。
事件も面白いし、キャラもよい。
そして笑いもある! こんなときに、ってところで笑わせてくれる。

『刑事ジョン・ルーサー』ばりに面白い! 『ホームランド』にも肉薄。

内容:すでに1週間経ってるので全部忘れたけど、とにかくMI5悪い! 
上の人の保身と、陰謀と策略で、コロコロ人が死んでいく。
命は安く誰も気にかけない。
これとかCIAがあるから世の中悪くなってるって、海外ドラマばっかり見てると思っちゃうよね。

それにしても本当に題名がひどい! 絶対見る気しない。
題名が醸す地味なものでは決してなく、映画ばりに派手な見せ方も心得てる! (それでいて緻密に物語が構成されている)

刑事ジョン・ルーサーも邦題が悪い! 
「刑事」ってついてるものはまず見る気がしない。
すごく損してる! 
この世には「刑事」ものの固定ファンが一定数いるようだが、自分は、どうも刑事って付くとアレルギーを起こす。

地道な捜査でたくさんの登場人物から犯人を当てる地味な英国ミステリーとか、またはCSIとかNCISとかの粗製濫造ものを想像してしまう。
ドラマ友だちにもいくら薦めても「刑事」ってだけで嫌がられ続けた。
こないだ、ついに腰を上げてくれたら、同じく「名前で損してる!」とやっとわかってもらえた。
もっとどうにか工夫をしてもらいたいわー。